エピソード | MARUSA'Sダイアリー

エピソード一覧

エピソード-7 <おかみさ~ん、時間ですよ~>

「おかみさ~ん 時間ですよ~」と言えば
TVのドラマ史に非常にユニークな足跡を残した番組<時間ですよ>で
マチャアキこと堺正章の有名すぎるフレーズです。
この番組の舞台が五反田とい事は、あまり知られていない。
ほとんどの人が下町をイメージしているのだろう。
<時間ですよ>は何度かに亘ってシリーズ化されたが、第1回ののシリーズはまだ白黒放送だ。
その第1回目のシリーズの第1話の冒頭のシーンは、五反田駅前の歩道橋の上に立つマチャアキだ。
ちなみに五反田駅前の歩道橋は、都内で最初の歩道橋であるが
その上に立つマチャアキの背後600m先に、当社の小さなビルが建っているのが見える。
八つ山通り(旧明治通りともいう)はソニー通りの通称だが、まだその当時はビルがあまりなく我が社のビルが駅から目立って見えた。
今では目を凝らし探してみても、ビルの陰に隠れてなかなか発見できません。
そんな状況のファーストシーンでマチャアキが、「時間ですよ~」と叫んでこのドラマは始まった。
そして、このドラマの中で「佐藤運送」というセリフが出てくるが、それはその当時のMARUSA株式会社の社名である。
今、すべて自分の記憶を辿って書いているが、中には自分の思い違いもあるかもしれないので、レンタルビデオショップに出向いてみた。
しかし<時間ですよ>の第1話の確認をしようとしたが、あいにく第1話を探すことが出来きず確認には至らなかった。
どなたか確認をする手段を知っている方がいましたら、教えていただきたいので、宜しくお願いします。

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エピソード-6<どこでもドアがあったなら・・・>

 

どこでもドアがあったらな・・・
古典的SFホラー映画<蝿男の恐怖>は少し昔に<ザ・フライ>という題名でリメイクされました。この映画の中で物体の電送装置なる未来のマシーンが出てきます。主役の博士が開発したこの機械に本人が実験台になって遠隔移動を試みるが・・・・というストーリーです。
その電送装置とやらが実際にあったら、荷物を車で運ぶ必要はなくなってしまいます。となると運送業もなくなります。
運送業だけでなく、旅客用飛行機も新幹線も船舶もいらないという時代になってしまいます。
なんという便利なこと!という一方で運送屋もJALもJRもなくなって職を失う人がいっぱい!そのうちの一人が私。
それでは困ってしまいますが、実際には現在でもそのような事態が起こり出しています。
インターネットの発達で映像・音楽・活字はもはや電送の時代になりつつあります。
その手の業種は確実に商品の運送量が減りだしています。
以前は『運送屋っていいよね。だって、どんな不況になったって品物は無くならないものねぇ』と言われましたが、そんな悠長な時代ではなくなりつつあります。形のない品物・商品、その届ける手段がすでに未来的になって来ているんです。
町中に公衆便所や電話ボックスのように“どこでもドア”があって、まるでエレベーターにでも乗り込むように人や荷物が移動する。そんな時代が来るとトラックもロケバスもお払い箱になってしまうなんて想像すると、背筋が寒くなってしまいます。
ただし救いがひとつ。前述の<蝿男の恐怖>では電送装置に博士と共に蝿が紛れ込んでいて、移動先で博士と蝿が合体してしまった。こちらの方がよっぽど背筋が寒い!だからそんな物騒なマシーンはいらない!となれば少なくとも私が生きている間には完成の日の目を見ないでしょう。

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エピソード-5<003はロケ車のナンバー>

カーナンバーは03
数年前から車両登録番号の指定が可能になりました。以前は陸支から与えられた車番を
気に入ろうがいまいが使用していましたが、42番とか49番とか4444番とかを与えられた
人の気持ちになれば良い制度が出来たもんだと思います。だからと言って必ずしも欲しい
番号が手に入るとは限りません。やはり、一桁の番号や333番7777番などのゾロ目は人
気が高く、こういう番号は抽選になるそうです。当社でも昨年よりこの制度を利用し下2桁
が03になるナンバーを新車購入の度に申請しています。勿論その最初の車は103でした。それから順番に203、303ときて、403は欠番にしました。今後も頭に42、49、99がくる番号は欠番にしようと考えています。それから1年、新車のロケバスが603番です。こうやって通し番号のようにすると車両管理にも都合がいい面がありますし、なにより良いのは、例えばロケの集合、早朝の新宿・渋谷はロケバスがいっぱい。当社の車両を見つけるには**03(マルサ)で探してみるというのはいかがでしょうか。

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エピソード-4<SINCE1929>

SINCE1929
弊社のロゴには<SINCE1929>と記されています。
あるとき仕事の打ち合わせでいらした米国人の方が
これを見るなり「リアリ0!」と叫びました。外国の方で
なくても「ホントかよ0?」とよくツッコミを入れられます。1929年といったら昭和4年です。私は当然生まれていませんでしたが、初代が一念発起独立してひとりで荷物の運搬を始めたのがこの年だそうです。その後会社としての体を為すまでにはまだ数年を要しましたが、初代の奮起を称えてその年をロゴにマークしました。
♪汽笛一斉新橋を0♪の東海道線1つ目の駅であり貨物の拠点となっていた品川駅周辺の大崎・五反田地区には沢山の工場がありました。その工場へ資材を工場から製品を品川駅に運ぶ運び手として、この周辺には古くから多くの運送業者が存在しました。昔は大八車や馬・牛そしてトラックに代わってもフォードなどの外国車が活躍していたと聞いています。近年は再開発の波に押され、駅には貨物の拠点もなくなり、工場も消え町並みが変わり、運ぶモノが減り運ぶものが変わり、運送業者も減少しました。そんな中長年にわたり事業を継続できましたのも、お客様に恵まれたからと心から感謝しております。

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エピソード-3<謎の社名の由来>

謎の社名由来
何で、マルサって社名なの?社名の由来を聞かれる事が良くあります。
<マルサの女>のマルサは国税局査察部の隠語であることを、この映画で知った人が殆どだと思いますが、勿論当社は国税局の関連ではありませんし、ましてや査察部に目を光らされるほどの会社
ではありません。いたって地道に清らかに納税に努めています。話が逸れてしまいましたが、社名の由来を聞かれるとこう答えています。
「<Multi Logistics Service>マルチ・ロジスティックス・サービスの略です」と。
マルチはマルチタレント、マルチメディアのマルチで多種多様なと言う意味合いです。ロジスティックスは元々は戦争用語の兵站で、解り易く言えば後方支援の物資輸送という意味ですが、今では物流という意味合いで理解されています。
サービスはお客様のニーズにお応えして業務をサポートする意味で使っています。CIって程ではありませんが7年ほど前から社名のロゴに加えています。
さて、能書きばかり並べてみましたが、本来のマルサの由来は、そんなにカッコイイ意味ではなく。もともと旧社名の佐藤運送の時代に使用していた、佐藤のサからくるマークをヒントに、現社名へ変更時、その当時では運送屋としてはめずらしい片仮名を使ってみようと言う先代の社長のアイデアからできた社名なのです。
サトウのサ。それだけでした。

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エピソード-2<帽子と映画業界の縁>

帽子と映像業界の縁
当社は映像関連輸送を得意としています。お付合いさせて頂いているお客様の多くが、いわゆる業界の方です。ふと気がつくと業界の方には帽子を被っている人が多いですね。帽子といってもキャップ(野球帽)というやつです。そういえばスピルバーグとかルーカスもキャップを愛用していますが、そういう影響もあるのでしょうか?そもそも映画の創成期の監督達の写真を見ると、今のキャップとは違ういわゆるハットを被っている方が多いですよね。ジョンフォード監督はハンチング帽を愛用し、そのフォードにあこがれた黒澤明監督もハンチング帽を被りましたがデルスウザーラ撮影時からはロシアンキャップ(?)を着用していたのは有名です。
映像業界と帽子は古くからの長い縁があるのだなぁと感じます。
そんな訳で当社ではノベルティグッズとしてキャップを製作しました。当社のスタッフも着用しますが、でかでかとマルサのロゴがついていたら、誰も喜んでくれそうもないので、一見では訳の分らないマークをつけてみました。黒い地に黒の刺繍、しかし手にとって良く見ると・・・・・・・興味のある方、当社のスタッフにお声を掛けてください。数に限りはありますが、日頃のご愛顧にお応えして贈呈させていただきます。

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エピソード-1<マルサVSマルサ>

マルサVSマルサ
当社の名前が<マルサ>と知るとリアクションを返してくる人がいる。その人たちの脳裏には必ずあの映画が浮かぶようだ。あの映画。そう!伊丹十三監督の名作<マルサの女>である。この映画の製作年度は1987年。当社がマルサ運輸と名乗ったのは1976年。
<マルサの女>が公開された頃はお客様から良く話題にされたものだ。嬉しいやら、恥かしいやら。それでも、この映画のお陰で、皆様に当社の名前が親しみをもっていただけるキッカケになったのは事実で、伊丹監督には非常に感謝しています。映画の公開から4、5年経った頃であろうか、私は仕事で飯倉の伊丹プロの事務所のあるマンションの前にいた。助手が伊丹プロに納品に行っている間、車の外に立って待っていると、なんとマンションから伊丹監督が出て来たのだ。
私が「おはようございます」と声をかけると、伊丹監督は「おはよう、ごくろうさま」と返してくれた。
つづけて私が「うち、マルサ運輸といいます」と言うと、監督はキョトンとした表情をした。更に「うちのほうが先にマルサって名乗ってるんですけど」と言うと、ニコッと笑って表情を崩しました。
楽しい映画をたくさん作って下さったのに、あのように早く亡くなられてしまったのは残念ですが、
私にはあのときの伊丹監督の柔らかい優しい表情がいつまでも忘れられません。

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