日記(えいがのはなし) | ページ 3 | MARUSA'Sダイアリー

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えいがのはなし 作品評価のお国柄

<望郷><舞踏会の手帳><旅路の果て>と聞けば名匠ジュリアンデュヴィビエ監督ですが、この他にも沢山の名作を残してる。
ところが本国フランスでは『デュビヴィエ監督は東の遥か彼方の国で考えられないほどの評価と名声を得ている』と言われるほど、本国での評価は低い。
デュビビエは思い掛けず、遥か遠くの日本人のハートをキャッチしてしまったのだ。
それはお国柄や国民性から来る、映画とのアプローチの違いや感性の違いから来るものなのだろうか?
製作国では受けなかった映画が意外な国で好評を得たり、その逆であったりすることがある。
私が最も好きな監督・ビリーワイルダーと言えば<アパートの鍵貸します><お熱いのがお好き><情婦><サンセット大通り><第七捕虜収容所>・・・
まだまだ書き切れないほど代表作がある。(私のワイルダーNO1は<あなただけ今晩は>!!!)
しかしワイルダーの代表作に<深夜の告白>を挙げる日本人はほとんどいないのではないか?(いないはず!)
ところが本国では<アパートの鍵貸します><お熱いのがお好き>と並び評される代表作である。
<深夜の告白>は非常に面白い作品だ。日本で日陰の身のような不当な扱いをされるべき作品ではない。
かといって、数え上げたら切りがないほどの名作秀作を持っている氏の、代表作と言えるか?となると日本人の私には理解できない。
同じ事がこれまた大好きなウィリアムワイラー監督にも言える。
ワイラーと言えば日本では<ローマの休日><ベンハー><大いなる西部>が妥当な代表作ではないか?
しかし氏の場合も、本国では<必死の逃亡者>の評価が高い。
この作品は映画ファンなら見逃してはならないほどの傑作ではあるが、日本ではワイラーの代表作と言われる事はない。
お国柄の違いによる作品の評価のされ方については研究してみる価値がありそうだ。

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えいがのはなし 70年代

90年代はサイコ物とSFXとノンストップアクションで疲れ、
80年代はシュワ、ブルース、スタローンが身体を張り、
70年代はというと・・・・
パニック映画、ソフトポルノ、カンフー、マフィア物、オカルト、動物パニック、女性自立映画、SF、ダンスミュージック映画、角川映画・・・と、
いろんなジャンルの映画の洪水でした。
なぜ洪水になってしまったかと言うと、当たった映画の二匹目三匹のどじょうを狙って次々とB級映画が製作されたからです。
しかし映画的にはナントも楽しい年代でした。
ヒット映画数あれど<ジョーズ>のヒットは記憶に残る初めてのメガヒット。
テレビで映画のCMが登場するのもこの頃で<人間の証明>の♪ママァ~ドゥユーリメンバー♪は一日中耳から離れないほど聞かされました。
<スターウォーズ>で目を見張り、<燃えよドラゴン>でヌンチャク、<ロッキー>で片腕立て伏せ、<サタデーナイトフィーバー>でフィーバー!フィーバー!
SFX先端技術はまだまだの時期だったが、本格的なものとチープなものと目が肥えた時期です。

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えいがのはなし レミーのおいしいレストラン

レミーのおいしレストラン
実写によるリアル感に対して、実写では描けない可能性がアニメにはある。
この映画も<ベイブ>の手法で実写で撮ることも可能であるが、撮ってはいけない類の映画だ。
リアルにネズミが厨房で料理をしている姿を描いてしまったら、この映画の印象は随分と違ったものになり共感を得ないだろう。
その点では、アニメの無限な底の深さを示した映画と言えよう。
そしてアニメならではのカメラワークは秀逸だ。
最近は実写映画でも、不可能なカメラワーク部分はCGやアニメに頼っている
古くは駄作の誉れ高いコッポラ監督の<ワンフロムザハート>(ちなみに私はこの映画大好きだ)
最近ではスパイダーマン等のSFX映画で、物理的に不可能と言えるカメラワークを可能にしているのは、
アニメーションのお陰であり、アニメが実写を超えている部分であろう。
頑張った者が報われる映画。レミーはそんな映画だ。
準主役の女性調理人がそうであるように、レミーも夢の実現には障害が大きく立ちはだかる
映画を観る前は、ヘタな料理人がネズミの力を借りていくうちに本来の才能を開花させるストーリと思っていたがそうではなかった。
ラストは御伽噺的であるので、かえって納得がいくものになった。
アニメの真髄はファンタジーであり御伽噺なのだ。
夢物語、空想を受け入れらる者だけが楽しめる映画なのだ。
不覚にも胸が熱くなって泪が溢れそうになったシーンがある。
レミーが最後に出す料理にラタトーュを選んだときだ。
(因みにラタトーュは、私も特別なときだけにつくる料理)
へぇー、ラタトゥーユなんだぁー!で、ゾクゾクっと来ました。
RAT_TO_YOUと掛けているわけです。
ただし原題は<Ratatouille>ですので
これではオチをタイトルにしてしまっているので
邦題の方がネタばれにならずにベターと思います。
とにかく良く考えれていて、非常に洒落ている映画です。

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えいがのはなし 二十四の瞳 つづきのつづきのつづき

3)『上手い見せ方だなぁ』と唸らせるシーンがある。
これも非常に良く出来た映画的なシーンだ。
年老いた先生を招いて、久しぶりにささやかな同窓会が開かれた。
座敷に上がる前に生徒(元)たちが先生に見せたいプレゼントがあると伝える。
はたしてプレゼントとは何だろう?観客も興味をもってそのプレゼントの正体の登場を待つ
しかし観客にはすぐには見せてくれない。
次のようなカット割りだ。
障子が開く→座敷に上がる先生→先生を伺う生徒達の顔→先生の表情が変わる
しかし意地悪な監督は、プレゼントの正体をまだ観客には見せない。
観客は先生が何を見て表情が変わったのかまだ分らない。
先生を囲む元生徒たちのセミロング→先生のUPそして涙→先生が見ていたものフルショット
ネタばれと言うほどの事はないが、あえてその正体は明かさないが
日本間に似つかわしく、しかし先生を象徴するものなのだ。
これが洋間ではいけないのだ、日本間だから上手いのだ。
そして
この映画の主役の教師高峰秀子は決して優しいだけの子供思いの若い女性教師ではない。
高峰秀子らしいのだが、自宅にいるときには生徒の前にいるときとは違う性格も覗かせる
若い女性教師も自宅では母親の娘なのだ。これも上手い。
あくまでも理想像で見せ切らないのが、並みでない監督の仕業だ。
そんじょそこらの
単なる『御涙頂戴映画』とは一線を画す
随所に名匠の『技』が光る名作中の名作なのだ。

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えいがのはなし 二十四の瞳 つづきのつづき

2)完璧な映画的なシーンがある。
私が常々思う<映画的>とは、言葉を省略しても観客に感動や驚きや悲しみや喜びは与える技術を示す。
そしてこの映画のこのシーンではその映画的な部分が完璧に出来上がっている。
家庭の事情で四国本土に渡った女の子と修学旅行の金比羅様詣でやってきた先生が
女の子の働く食堂で偶然出会うシーンだ。
このシーンでは女の子は、恥ずかしさと照れ臭さで、先生の問いかけにも一切言葉を返さない。
本当は先生に抱きつきたいくらいな想いなのに、目さえ合わせられない。
その子の新しい保護者が意地悪そうなので先生は非常に気にかけているが、お別れを言わなくてはならない時間になってしまった。
(今書いていても涙がこぼれそう、それでもこれから先のこのシーンのクライマックスを書かねばならない)
先生が店を出た瞬間、女の子は裏口から店を飛び出した、表通りの先生に駆け寄ろうと駆け出したのだ。
やはり女の子の気持ちがよく伝わる場面だが、その次の瞬間生徒たちの先生を呼び止める声が響く
その声に女の子は駆けていた足を止めてしまうのだ。
そして次のカットで出航する先生と子供達を乗せた船を追いかける女の子の後姿。
胸がつまる場面だ。女の子のセリフは一切ない。


えいがのはなし 二十四の瞳 つづき

好きなシーンやエピソードが沢山ある。
1)まずは誰でも好きになるはずの、子供達が遠くの先生の家を訪ねるエピソード。
まるで<スタンバイミー>だ。
子供達のロードムービーをスタンバイミー的と言った言葉でよく使われるが
私はあまり<スタンバイミー>に興奮しない。
この映画こそそれであり、今後はその手の類は<二十四の瞳>的と言って欲しいと思う。
しかし下記のような上手い演出をできる監督はなかなかいないだろう。
まだ小さな子供達にとっては長い道のりだ、歩く歩く歩く、疲れてくる子供がいる、腹が減ったと言い出す子供が出てくる
一人が泣き出した、つられて一人二人と他の子供達が泣き出す。
最後に先生を乗せたバスが子供達の背後から近づいて、やっと出会えるまでのシーンのカット割りは秀逸だ。
まずは観客が先生を乗せたバスの登場に気づき、そして先生が子供達に気づく、子供達はまだ何も気づかない。
子供達を追い越して、そのまま行ってしまうのではないだろうか思うぐらい通り過ぎてから
やっとバスが止まる。カメラはそれを子供達の背後から捉える。
観客は『良かったバスが止まった』と安心した後に、やっと子供達が先生に気が付く。
緊張や不安から開放されて子供達が泣き出すのがごく自然なのだ。


えいがのはなし 二十四の瞳

二十四の瞳
名匠・木下恵介の名作<二十四の瞳>を観た事がなくても、そのタイトルを知らない人はいないだろう。
そして、観ていない人のイメージは、戦争に関係する話、小豆島、子供たちと先生、悲しい話といったところではないか?
私もそんなイメージだけで、ほとんど期待せずに観た。
そして案の定期待しなかった通り、小豆島のノンビリした風景とともに物語りが始まる。
(あとからすればこのノンビリ加減が後に効くのだ)
そして新米教師と12人の子供達の日常の風景が延々と続く。
まだ教師や子供達のキャラクターを把握しきれていないうちには、なんの感情移入も出来ずに
映画は私を眠りに導こうとしているかのようだ。
後半すっかり映画に引き込まれた頃には、
この退屈だった冒頭の子供達の姿が懐かしく感じさせられたのには驚いた。
こういう映画体験をさせる<力>こそ、力のある監督の技なのだろう。
映画が終わったときには、私はすっかり<二十四の瞳>に夢中になり。
たんなる子供と先生の話ではくくれない、大きさを感じさせられるのだ。


えいがのはなし 拍手の起こる映画、後味の悪い映画

上映後の反応はさまざまです。
エンドタイトルでクレッジトが流れると足早に席を立つ人、余韻に浸りながらスタッフキャストのスーパーを眺める人。
しかし良かった映画のエンドタイトルでどこからともなく拍手が起こりそれが劇場中に拡がる。
そんな光景を昨今すっかり見なくなってしまった。
昭和の時代は、たまにこういう光景に遭遇した。
<カッコーの巣の上で><ジョーズ><スターウォーズ><ロッキー>などで経験しました。
ところがこんなことがあった、ハリーポッターで私が居眠りしていると大きな拍手が聞こえてきた。
静かに目を開くとスクリーンではヴォグワァーツでの最後シーンになっていた。
スクリーンの中の子供達が拍手喝采しているシーンである。
それを確認して、私が再び目を閉じかけたとき、『おやっ?』と思った。
映画とシンクロしない、生な拍手が私のスグ耳元に届いていたからだ。
ふと後ろを振り返ると3歳ぐらいの可愛らしい男の子が映画の中の子供達に合わせて拍手を送っていたのだ。
私のようにすっかり寝込んでしまった観客がいる一方、感動して拍手を送る小さな観客がそこにはいた。 実はその可愛い子、私の息子。かわいい~
感動的な映画には惜しみなく拍手を送りたいが、一方で後味が悪い映画や胸が苦しくなる映画がある。決して映画の出来は悪くないのだが、もう二度と見たくないと思う作品もある。
<火垂の墓>はあまりにも悲しすぎて胸が苦しい(ところが何回も観てしまい。そのたび涙する)
<ダンサーインザダーク>はまさに後味が悪すぎる。
よそでビョークの歌声を耳にするたび、条件反射的にブルーになってしまう。
<ライフイズビューティフル>はやるせない。
しかしこの映画、お父さんが殺されてからハッピーエンドまでの尺が短いので、気持ちの切替が難しい。今胸が苦しく切ない思いをしていたばかりなのに、その後スグに喜べって言われてもねぇ~って感じになる。
そして<誰も知らない>現代版の<火垂の墓>
戦争に対して現代はネグレクトが子供達を苦しめている。

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えいがのはなし 私的ディズニー映画の観方

ディズニー映画で特に好きなのは<ダンボ>です。
スピルバーグの何かの映画にダンボが挿入されていたような気がするが、
スピルバーグもダンボが好きなのだろう。
耳が大き過ぎていじめられる可愛い弱虫のダンボ。
私はこの映画を観るときダンボを障害者に置き換えて観てしまいます。
生まれつき異質で奇形で、人と違っているために距離を置かれ笑われ、必然的に引っ込み事案になった障害者ダンボ。
しかし一歩前に踏み出せば、個性的な人にない能力も発揮できる。
その時、人々は拍手する。
<白雪姫>の7人の小人たちが森で暮らすのも
昔、差別にあったマイノリティたちの姿なのだろう。
昔話にはよく森の奥深くで暮らす人が登場するが、
自ら社会と距離をとったり、差別で追われた人がいたのだろう。
<ピノキオ>は人さらいの映画。
そういえば最近では人攫いって言葉聞かなくなったけど、禁句?
甘い言葉や楽しい誘いに判別が付かない子供たちとピノキの姿は誰にでも当てはまったりするかも。
<ピーターパン>のネバーランドにも、それと共通する子供たちが出て来る。
最近では
<ファインディングニモ>や<レミーのおいしいレストラン>
これをディズニーと呼ぶのは心苦しいが(やはりピクシー映画!と呼びたい)が、
片腕に障害のある子供、夢を持っても障害のあるネズミ
ディズニーのテイストが受け継がれていると思ふ。
ディズニー映画といえば<ライオンキング>が手塚治虫の作品のパクリを指摘されたが、
<バグズライフ>も明らかに<七人の侍>をモチーフにしている。
しかしコレはパロディ?パロディなら許せてもパクリは如何なものか?
黒澤へのリスペクトと解釈しよう。
そういえばNHKの大河ドラマ<武蔵>は七人の侍を露骨にパクっていたが、
真似されることの多い<七人の侍>って本当に名作ですね。
ディズニー話が黒澤で〆になってしまってスミマセン。

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えいがのはなし 再びOZの話

『オズの魔法使い』『明日に向かって撃て!』
上のタイトルの間違いに気づいた方はかなりの映画通と言えます。
正解は『オズの魔法使』『明日に向って撃て!』です。
それぞれ『い』と『か』が表記されません。
ちなみに『真夜中のカウボーイ』も間違いで正解は『真夜中のカーボーイ』です。
言葉としてはカウボーイの方が正解ですが、
現代的なニュアンスを出す為に配給会社がつけたタイトルがカーボーイだったのです。
原題はMidnightCawboy。
タイトルの話はともかく、私の大好きなこの2作品。
ジャンルは違いますが、非常に心をこめて作品を作り上げていることに関しては共通しています。
両作品のオープニングとラストと言ってピンと来る方もいるでしょうが、この両作品ともモノクロ画面で始まり、モノクロ画面で終わります。
<明日に向って撃て!>のファーストシーン、映写機から映し出されるモノクロの列車強盗のシーンは監督のセンスを感じます。
2作品ともまるでこれから童話の絵本を開いて見せるような、そして本を閉じて終わるような雰囲気があります。
実際に本を開いて始まり本を閉じてお終いといった演出はよく見かけますが、
そうしたありきたりな演出をしないところが監督の力量でしょう。
<オズの魔法使>は至る所に趣向を凝らしていますので何度観ても楽しめます。
屋外の設定でありながら全編スタジオ内で撮影し、書割セットでありながらチープではなくカラフルでデザインが優れています。
また60年以上も前の映画にもかかわらず特撮が素晴らしい。(SFXではない、特撮なのだ)
ほかにも衣装やメイクや歌踊り、この映画に関しては話し出したら止まらないのでやめておきます。
ひとつがっかりなのは、この作品本国米国では子供から老人まで年代を超えて長い間国民的作品として親しまれていますが、日本での評価は今ひとつ。
是非、日本でも沢山の方に観て頂きたいと思います。
話が長くなったので<明日に向って撃て!>の話は別の機会に。
最後にコレだけは付け加えます。
米国人の多くが観た映画(劇場だけでなく、TVやビデオなどを含めて)というアンケートのデーターによるとダントツ1位が<オズの魔法使>で95%以上の人が観ているそうです。
続いて2位が<風と共に去りぬ>85%以上。3位<ゴッドファーザー>4位<スターウォーズ>と続きます。
タイタニックでもハリーポッターでもないんだぞぉー!オズなんだぞぉー!
<オズの魔法使>は米国の国民的映画なのです。

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